『わがまま きまま 想うがまま』 日本本土から南に1000㌔小笠原諸島・父島から出発。 花鳥風月を感じ、カナダを旅していきます。

2016年8月7日日曜日

『聖なる島』

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バンクーバー島の北に位置する離島、アラートベイ

この島にはクワキウトル族と呼ばれる先住民が多く暮らしています。

彼らの考えでは、亡くなった人はシャチになって蘇るとされています。


カナダ北西海岸部には、5千年も前から先住民族が暮らしていました。

文字を使わない独自の言葉で、長い歴史や豊かな文化を口承によって伝えてきました。


しかし、西洋人の入植後、

領土とともに伝統的な文化や行事が奪われ、

1885年には先住民族にとって最も重要な儀式・祭壇である「ポトラッチ」が法律で禁止され、

子どもたちは英語教育のため寄宿舎へ入れられ、

歴史や文化を伝えるすべが奪われてしまいました。


しかし、西洋人による弾圧のなか

アラートベイの人々は、
「ポトラッチ」などの大切な文化をひそかに守り続け、

現在も彼らの文化と想いが脈々と受け継がれています。


彼らにとっては、

アラートベイは復興のシンボルなのです。



以前はカナディアンやインディアンと呼ばれていた先住民族ですが、

現在は尊敬の念をこめてファーストネイションと呼ばれ、

カナダ政府によって保護されています。


彼らにとって重要な儀式である「ポトラッチ」は、

「土地の所有権の話し合い」 「伝統舞踊や物語の伝承」
「結婚の祝い・子どもの誕生」 「故人を偲ぶ」

など、特別な意味のある行事でした。


「ポトラッチ」が行われているビッグハウス

1500人収容できる、大きな木造の建物です。


クワキウトル族のポトラッチは

丸太を叩きながら、唸るように歌ってリズムを作り、踊っていきます。


先住民族を同化させようとするキリスト教や政府は、

このポトラッチを見て、

最大の障害とみなし、19世紀後半からくりかえし弾圧しました。




「ポトラッチ」で使用する伝統的なマスクやガウンなどは、

弾圧の際、西洋人に没収され、売られてしまいました。

しかし、カナダ政府の法律が変わり、

彼らのマスクやガウンなどが再び、このアラートベイに集められています。



ウミスタミュージアムでは、ポトラッチに使うマスクやガウンが展示され、

先住民族の文化を今に伝える重要な役割を担っています。

マスクは踊る内容によって変わり、

野人や熊・ワシ・シャチなどのマスクがあります。


トーテムポールの建立には、

「ポトラッチ」を催し、

村人などにトーテムポール建立の由来・彫像の説明・先祖から口承で伝えられた物語や紋章(家紋)を話していきます。

このポトラッチなしにトーテムポールを建立することは
ファーストネイションの間では伝統に反するとされています。

2014年建立

伝統的な配色は、赤・黒・緑(青)だが、

彼らのトーテムポールはさらに多くの色を使うことが特徴とされています。

これは西洋人との交易によって色の種類が増えたのではと考えられています。


1976年建立

トーテムポールの起源はよくわかっていません。

18世紀後半になり、西洋人が北アメリカ北西沿岸部を頻繁に航海するようになった時は、
すでにその存在が確認されているそうです。

しかし、それ以前のトーテムポールに関しては、記述も存在も確認されていません。

その理由としては、

この辺りは雨の多い温帯雨林のため、

トーテムポールが腐食しやすく、

古いものが発見されないからです。


1940年建立

彼らにとってトーテムポールは

建立することに意義があると考え、

朽ちていくことを惜しむことはありません。

2004年建立

クワキウトル族のトーテムポールによく彫刻されている、

伝説の鳥サンダーバード


 

1973年に建立された全長53mのトーテムポール


ハリケーンが島を襲い、
その際にこのトーテムポールの上部が壊れてしまったそうです。


海辺にあるお墓

キリスト教の墓と並び、故人を偲んで建てたトーテムポールが並ぶ。


アラートベイはクワキウトル族にとって、

墓地であり、

代々受け継いできた想いが残る

聖なる場所です。


彼らの森を歩いて、感じたことがある。

それは、なぜトーテムポールという存在を樹で作ったのだろうかということ。


彼らの生活は、

樹を使って家を建て、舟を作り、

樹皮を使って服や帽子を編んでいました。


彼らにとって、樹を育てるということは

大事な仕事であり、生活の一部でもあったのだと思います。



もし大切な想いをなにかに籠めるとしたら、

それは大切に育てた樹になるのでしょう。



森の中には樹齢500年を超える、大木がありました。

彼らは代々、樹を守っています。

守り続けることが彼らの文化の継承だったのかもしれません。


大きな樹木に私が深く感動するのは、

その悠久の年月に憧れを抱くからだと思います。

おそらく、彼らも同じだったのではと思っています。


そして、自然のものは自然に還る

樹は果たした後、

虫が住み、土になり、

また新しい樹が芽吹きはじめる。


彼らの想いは、つねに自然のサイクルの中にあったのだと思います。


森の中はたくさんの樹木から発せられる匂いや色、木漏れ日を感じることができます。

ふっと空を見上げると、

青空を背景に大きな樹の幹と葉のシルエットが見えます。


何千年も前から

彼らも同じ様に感じながら、この道を歩いたんだなと思うと

なぜか嬉しく感じました。



今日もハクトウワシは樹上から私達を見下ろしていました。

ハクトウワシから見たら、私達ヒトは異質な存在に映っているのでしょうか。


もしアラートベイの樹たちが私達に話しかけてきたら、

かれらはなんと言うのでしょうか。


クワキウトル族の生活は、

時代とともに変化していかざるを得なくなり、

特にはじめの自給自足としての狩猟生活から、

商業的活動(貿易品として毛皮を売る)へと変化していく過程で、

欧米からの影響を強く受け、

元々の伝統的文化が失われる結果をひきおこしてしまいました。

このことは、固有の言語を話せる人々の減少をももたらしました。


現在ではカナダ政府は先住民との間に様々な法整備を整え、

先住民の文化復興の動きが活性化しています。



彼らの文化と想いが今後もずっと続いていくことを願っています。




あとがき

アラートベイに着いて、
一番驚いたのはよく島の人が声をかけてくれるということだった。
あまりにもフランクに話しかけてくるものだから、怪しんだくらいだった。
急に食べかけのポテチを差し出して、食うか?と聞かれたこともあった。
本当に彼らは世話好きだし、話好きだった。
そして、話が終わったり、車ですれ違うと、必ずピースサインをしてくる。
どうやら彼らの挨拶みたいなものみたいらしい。
私も応えるように、ピースサインをしていた。
ふらっと流れ着いたアラートベイという場所が、とても好きになれたのは
他ならぬファーストネイションや移り住んだ人たちの人柄が
私達には合っていたのかもしれない。
また遊びに行って、ピースサインを彼らとしたいと思っている。(2016/11/3)





すだっち



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