Easy Going 

『わがまま きまま 想うがまま』 日本本土から南に1000㌔小笠原諸島・父島から出発。 花鳥風月を感じ、カナダを旅していきます。

2016年9月30日金曜日

『愛車のありがたさ』

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ハイダ・グワイ出発日。
船の出港時刻が夜10時なので、最終日の今日はトレッキングの予定!
目指すは座礁船のある"Pesuta Shipwreck Hike"。

ホストマザーお薦めのトレッキングポイントなのですが、
平日昼間はお仕事のあるホストマザーが、
『申し訳ないけど、送迎ができないの。ヒッチハイクして行ってらっしゃい』と・・・

カナダでは、ヒッチハイカーを車に乗せるのは違法という所がほとんどです。

しかし、ハイダ・グワイではバスやタクシーがないため、
ヒッチハイカーを拾ってくれる島民がたくさんいるのだとか。

『私も、何回もヒッチハイクしている人を乗せてるわよ~』
その言葉に背中を押され、人生初のヒッチハイクを決行することにしました。
歩き始めて10分以内。

1台目の車がやってきました。
内心ビクビクしながら、親指をたてます。

ドライバーの女性、笑顔で手を振ってくれましたが
すっと通り過ぎていきました(^^;)
そう簡単にはいかないですよね。

2台目・3台目も、みんな笑顔で挨拶してくれるのに止まってもらえず・・・
それからも車は通り過ぎていきます。
だんだんと親指をたてるのにも慣れてきました。

『お仕事っぽいトラックはダメだよね』
『乗用車を狙おう!』

そんな風に話をしながら、そして目的地を目指して歩を進めながら、
こちらへ来る車にサインを出し続けました。

歩き始めて、2時間。
通り過ぎて行った車10数台・・・

気づけば、目的地まであと半分強という距離にまで来ていました。
もうあと半分歩いて、トレッキングをして、さらに帰りもヒッチハイクに失敗したら
乗船予定のフェリーに間に合いません。

残念ながら、Pesuta Shipwreck Hikeをあきらめ、
海岸で昼食をとり、家路につくことへ。


昼食後の帰り道。

どーーーしても、ヒッチハイクを成功させたい!
もうトレッキングするという目的とは全く違うけど、とりあえずヒッチハイクしよう!!
と、心に決めた私たち。

そこにやってきた1台目の獲物(車)。

・・・あ、止まってくれた・・・?

え!?止まってる!
まだ5分も歩いてないのに!

ぃやっほ~~い♪♪

車から出てきたのは、優しそうなおじさん。
『乗っていきな~☆』と言ってくれました。

おじさんは、この島の国立公園周辺の海域を管理しているかた。
レンジャーのような仕事をしているそうです。
車にはフェンダーが載せてありました。

私たちのステイ先が"St.Mary's Spring"の近くだったので、
それを言うと、すぐに場所を理解してくれました。

発車して5分。
ステイ先を通り過ぎました(笑)
この辺り、という詳細が伝わっていませんでした。
ここでも立ちはだかる言葉の壁!

若干、あせりつつも会話を遮ってまで止まってー!
という勇気もなく、着いた場所は、まさに"St.Mary's Spring"
また別のトレッキングポイントです。
こちらは、ステイ先から歩いて10分ほどの場所。
もともとはトレッキングをする予定だったので、ラッキー♪
 
歩いてみると、"泉"という名前がついているだけあって
湿気の多く、木々が瑞々しい場所でした。
なんとなく、空気も美味しいような気がします。
 
倒木のほとんどが苔むしており、静かな雰囲気です。
私たちも、自然と言葉少なになりながら歩きました。
 
目的の場所にはたどり着けなかったけれど、
ここはここで、とても良い場所。
という、ことで!?

『すだ、ここでーす!』



・・・・あとがき・・・・
まさか、最終日にこんな冒険をするとは思いませんでした。

目的通りの場所でトレッキングができていたら、どうなっていたのでしょう。
もしかしたら、帰りのヒッチハイクが失敗してたかもしれません。

ホストマザーが仕事から帰ってきてから、
上手くヒッチハイクができなかったこと、
行きは2時間・帰りは5分だったことを話しました。

あとで調べてみると、ステイ先からトレッキングポイントまでは20km以上。
今回は、あきらめておいてよかったのかも。

この出来事も、自分たちらしいなーと思いつつも
改めて、8月まで旅をともにした愛車のありがたさを感じました。

ゆり






2016年9月27日火曜日

『K'UUNA~ハイイログマの村~』

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ハイダ・グワイでは、

西洋人が19世紀に持ち込んだ天然痘が猛威を振るい、人口が激減。

およそ3万人ものハイダ族は1880年代半ばまでに、

1000人に満たない数にまで落ち込んだ。

西洋人が持ち込んだ流行病に抗し切れず、

生き残った島民は、村を捨て、別の場所に移動して住まざるを得なくなった。
 
廃墟と化した集落は、1世紀ほど経過した1981年に世界文化遺産となった。


グワイ・ハアナス国立公園は、環境保全のため年間の入園者を制限し、

ハイダ族の文化や精神を損なうことがないよう細かいルールを設け、今に至る。

ハイダ族主導で始まった取り組みの中で、とても大事な存在がウォッチマンである。

ハイダ族の彼ら自身が、5月から9月の観光シーズンの間、

現代の生活から隔絶された駐在地に住み込み、任地のガイドの役割を果たす。

ウォッチマンが守る地は、いずれ大地に帰る場所。

ウォッチマンは目に見えるものではなく、
目に見えないものに価値を置き、
守り、伝えることが一番の仕事である。


今回、私達はグワイ・ハアナス国立公園の中でも最も北に位置する村の跡、
スケダンを訪れた。


9月下旬

すでに観光シーズンも終盤に来ていた。

ハイダ・グワイでは冬がすぐそこまで来ており、海は時化ることが多くなった。

実際、私達がツアーに参加する2日前まで時化だった。

国立公園内に上陸するには、ゾディアックボートもしくはカヤックしかなく、
時化れば行くことは出来ない。

今回参加したツアーの船長とガイドはハイダ族、
ガイドは若い女性の方だった。


私達の中ではお馴染みとなった防寒着に着替えてから出発する。

バンクーバー島では上着のみの防寒が多かったが、
ハイダでは上下の防寒着、手袋、ニット帽、そして長靴が用意されていた。

ただ、完全防寒をしていても、ボートが走り出せば寒く感じた。


海況は凪

しばらく走ると、岩場で休憩していたアザラシがたくさんいた。

彼らはボートから発するエンジン音に気付くと、一斉に顔を持ち上げ、私達を見た。

そして一目散に海を目指して、身体をくねらせながら岩場を移動していった。


何が起こったのか状況が理解できていない、新生児。

岩場で一人だけになって、やっと海に向かおうとしていた。

その足取りはまだどこかぎこちなかった。



海藻にまぎれながら、私達をのぞき見する大人のアザラシたち。

アザラシたちは常に警戒の態勢を崩すことはなく、私達はその場を離れた。



次の岩場には、ステラ・シーライオンが群れていた。

餌となる海の幸を求めて夏場はアラスカ方面に居座り、サーモンがいなくなる冬場には南下するとのこと。


全長は3mを超え、たくましい身体は体重1㌧にもなる。

その身体から発せられる咆哮は圧巻で、岩場に打ち砕ける波の音すらもかき消していた。


アザラシと大きく違うことは、私達に気付いていてもお構いなし。

のんびりくつろぐメスとは対象的に、若いオスたちは顔を突き合わせ怒鳴りあっていた。


岩場の上では、彼らが脅威と感じる天敵はいない。

その余裕の表れが全身から出ていて、寝顔は可愛く見えた。

  

港を出発してから2時間もしない時間で、今回の目的地に到着した。

スケダン(SKEDANS)はグワイ・ハアナス国立公園の中でも最も北に位置する村の跡。

村はハイダ語で「クーナ」、ハイイログマの村という意味をもつ。



クーナには30以上の家が並び、700人のハイダ族が暮らしていた。

家系はワタリガラスとイーグルがいたそうだ。

すべての家には名前が付けられており、
家屋の正面にはその名前を表す動物や歴史が彫られたトーテムポールが並んでいる。

所々にコケが付着しているポール。

傾いたり、縦に大きな裂け目があったり。

原材料には腐食に耐性があるシダーが使われているが、

時間の流れを止めることは出来ない。


ウォッチマンが観光シーズンの数カ月を滞在する建物。

私達が訪れた時はすでに任期を終え在中していないとのこと。

残念ながら、クーナの末裔に逢うことは出来なかった。

ウォッチマンのトーテムポールの保存作業は、

ポールに生えた雑草を除去する程度にとどめることになっている。

彼らの大事な役割、それは自然に還ることを見守ることである。


海岸でランチを食べていると、3頭のシカが姿を現した。

こちらの様子を窺いながらも、海藻を食べ、

私達と同じ海岸で同じように休憩していた。


1頭のシカがこちらに少しずつ近づき、私達を見ている。

このシカ達もウォッチマンと同じように見守り続けているのかもしれない。


午後からはハイダ族のガイドとともに、集落を歩く。

トーテムポール群の後方には当時の住居後が残されている。

住居跡は四角形のくぼみになっており、半地下だった。

集落の酋長の家の前にはひと際大きなトーテムポールがあったそうだ。

そこに描かれている模様は

集落全体の歴史やその家に属する家系の歴史を表していた。

そのトーテムポールを見れば、彼らがどのようにしてこの場所に辿り着いたのかがわかる。


住居を出ると、

目の前には自分達の歴史を表すトーテムポールが並び、

樹々の間から空と海、そして入江の海岸線が見えていたはずだ。

いまでは住居もトーテムポールも当時の姿は残っていないが、

この風景はおそらく変わらないだろう。



朽ち果て、苔生し、ほとんどのトーテムポールは横に倒れていた。

100年以上も前にハイダ族がいなくなった集落は、

時間をかけて、少しずつ森に戻ろうとしていた。



倒れたトーテムポールを礎にして、大きく育った樹は

これから森に戻るための大事な一本になるだろう。


かつては色鮮やかに塗られ、

物語を語っていたはずの動物たちのポールは、

いまは一面苔生し、その窪みがあることでやっとトーテムポールだと気づく。


文字を持たなかった彼らが、

トーテムポールに残した想いはとても強かったはず。

そのトーテムポールが朽ち果てていく様を見ると、寂しく思えた。

しかし、抗うことができない時間と自然の力は、

諦めとか腹立たしいとかではなく、

すべてを受け入れるしかないと思わせる絶対的な力だった。

その力を宿したトーテムポールは不思議な魅力を持っていた。


頂上部分が前方からくり抜かれ、

中に芽吹いたばかりの草や木が生い茂っているトーテムポールがある。

亡くなった人が霊的な存在となり、外敵や疫病などの災いから護ってくれることを信じ、

遺灰を一枚板で作ったボックスに入れ、頂上部分に安置していた。

そのぽっかり空いた頂上部分からは、次の生が宿り育っていた。

  

墓柱は故人の属する模様がひとつ彫られる。

数十年前に撮られた写真を見て、イーグル家系の墓柱だということがわかる。



自然と共に。

彼らハイダ族の想いは、とてもシンプルでかつ力強いものだった。

森には土が必要不可欠である。

その土には命あるものの死が必要不可欠である。

自然と共に成長し、倒れ、やがて土となり、新しい命のための礎になる。




この集落を離れる前、船長が集落から少し離れた森の中を案内してくれた。

北米で最も古いとされていたハンノキが森の中に横たわっていた。

空を見上げると、樹々の間にぽっかりと青空が広がっていた。

これから先、この場所はどうなっていくのか。

ハイダの想いが沁みこんだこの地はどのように変化していくのか。

終わりと始まりのはざま、不思議な場所だった。



あとがき

日本に着いてから、私の視界の中にはコンクリートや鉄筋が必ず入っています。
可能な限り形をとどめたい、残したいとする一方で、
なくなることを宿命としている世界があることを不思議に感じています。
どちらがいいのかはわかりません。
人と自然の付き合い方の答えは、たくさんあって正解のないものだと思っています。
ただ私個人的にはハイダ族の想いは、とても純粋で尊敬するものでした。
彼らの文化、言葉、神話そして踊りや音楽などの想いが
少しでも多く、未来に紡いでいってほしいと思います。
(2017.3.1)


すだっち



2016年9月16日金曜日

『ハイダ・ベアーに出逢う』

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ハイダ・グワイに住んでいる多くの島民は、
ハイダ・ベアーは安全な動物だと言う。

ハイダベアーというのは、ハイダ・グワイに棲むブラックベアー(アメリカクマ)の亜種のことである。

食性は植物食傾向の強い雑食で、
果実・種子・草・昆虫・魚類・動物の死骸などを食べる。

ごく稀に脊椎動物も食べるらしいが、積極的には食べないとされている。

自然が豊かなこの場所には、クマにとって潤沢な食料があり、

トレッキング中に人と遭遇しても襲わないというわけだ。


ただ、一人

声を大にして『そんなことはない』と言い切る女性が身近にいた。

私達がお世話になっているファームステイ先のホストだった。

私達は彼女の恐ろしい体験談を聞いた。

クマに襲われた場所は、今まさに私達が生活している母屋

数十年も前の話…実際に彼女は家族を守るために散弾銃でクマを撃ち殺している。
そのクマは数日前にトラックとぶつかっていたようで、
あばら骨を折る大怪我をしていたそうだ。

きっと痛みから、平常ではなくなって
人に対して怒りがこみあげて行動していたんだと言っていた。

私達とは意思の疎通が取れない野生の動物。

安全だと言われていても、

出会った時に相手はこちらをどう思っているのかはわからない。

そして、ホストはクマと対峙することになった時の対処法を私達に教えてくれた。


この時点では、

私達がのちに2度もクマに遭遇し、

そのうち1回は距離15mの近さで見ることになるとは思ってもいなかった。

      

毎週土曜日は私達が収穫した野菜・卵・コンブチャをマーケットで売る日。

ただ、お客さんはあまり来ず、とても暇だった。

そこで、私達は自由時間をもらって、近くのトレイルを散策することになった。


川に沿って歩くことが出来るトレイルで、常に潤いを感じる森だった。

    

森の中を進んでいくと、足元が一面瑞々しいほどの苔に覆われはじめた。

触ってみると、手が苔に包まれるように深く沈みこんだ。


歩いていると、森の中はとても静寂だった。

時折、大きな音が聞こえる。

ガサガサ

キュルキュルキュル

ガリガリガリ

音のするほうを見てみると、枝の上で食事をしていたリスがいた。


苔生した大地を眺めていれば、ぴょんぴょん跳ねるカエルを見つけることが出来た。

彼は私達の存在に気付くと、飛ぶのをやめ、じっとしながら私たちの動向を窺っていた。

私達も負けじと動かずに彼を見続けた。


苔生した大地に光が当たると、一筋のきらきら光る小さな道があることに気付いた。

その後を辿ると、緑一色の大地に際立つ色のキノコがあった。

彼らは際立つ色を無くそうと、忙しそうにのろのろと動き回っていた。


歩いていると視線を感じることがある。

森を見渡すと、私達よりも遥か上から見下ろされていたことがわかった。

彼らは羽を休めながら、私達を観察していた。

樹齢500年は超える巨樹は太い根を張り、ひっそりとたたずんでいた。

最初はその有様に惚れ、写真を撮っていた。

森を進むにつれて、

巨樹がそこかしこにあることに気付き、撮るのをやめた。

この巨樹たちから、どこか誇らしさを感じた。

羽を休める場所を、ときには食事を提供し、

突風に耐えられなくなって倒れたときは、次の世代の礎になる。

それが定めであり当然ではあるのだが、それでも彼らから誇らしさを感じた。


歩みを止めて、森を見渡す。

自分自身の感覚が冴えわたっていることに気付く。

この森に棲む動物たちは常にこの感覚を持ちながら生活している。

川を眺めながら、ランチをとっていた。

水の流れる音を聞きながら、水面を眺めていると

バキッ

枝が折れる音が対岸から聞こえた。



大きな身体からは釣り合わない歩く音の少なさ

それでもたまに聞こえる枝の折れる音と

彼が私達にむけた視線は

確かな存在感を感じることが出来た。

彼は私達をちらっと見て、さらに川をちらっと見て。

数歩川縁を歩いただけで、また森の中に帰って行った。

これが初めてのハイダ・ベアーの出逢いだった。


2週間後、同じトレイルを歩いた。

島民からは、ハイダベアーを見れただけでもとても幸運と言われていた。

滅多に逢えるものではない。

それでも、心の中では「また逢えますように」と念じながら歩いていた。


川縁をしばらく歩いていると、あることに気付く。

水の跳ねる音がそこらじゅうから聞こえていた。

よくよく川の中をのぞきこんで見ると、たくさんのサーモンが遡上していた。


コブの大きいサーモンは、

近づいてくる他のサーモンを追い払いながら、今か今かと焦りながら泳いでいた。

コブのないサーモンは力強く尾を振り、砂利をどかし、すり鉢状の産卵床を作っていた。

いま目の前の川の中では、熾烈なオス同士の戦いと、新しい命の誕生が見れた。


そんな様子を動画におさめることに夢中になっていたら、

また森の中から枝の折れる音が聞こえた。

音の先を見ても、まだ信じられなかった。


しかも今回は川幅15mの対岸、すぐ目の前にいる。

確実に彼は私達の存在を理解していた。

それでも、彼は私達の目の前に出てきて、川をのぞきこんでいた。


ぜひ、ここからは動画を見てほしい。

若い彼は、何度かサーモンを捕ることに失敗している。

最終的に捕まえられたサーモンも、彼にとっては予想外だったのか、

少し驚いているように見えた。

どこか愛らしく、ラッキーってつぶやいているようにさえ思える。



あとがき

2017年2月18日早朝に無事日本に帰国しました。
きっかり1年間、カナダを楽しんできました。
充実した時間を過ごし、また多くの学びと友達が出来ました。
感謝です。
残念なのは、このブログをいまこうして日本で書いている事。
そのときの想いを、可能であればその時点で残したかったのですが、
ハイダグワイではネット環境が整っておらず、どんどん先送りになってしまいました。
日記にしたためた想いを見返し、写真を整理しながら、ちまちまと書いていきます。
このブログを書き終わらなければ、
私の中ではカナダ旅は終わっていないようにも感じています。
(2017.2.22)

すだっち

2016年9月15日木曜日

『丸くなる32』

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今日は私の誕生日

畑仕事を休んで、ミュージアムとトレッキングに行ってきた。

毎回、自分の誕生日に一つだけ1年の抱負みたいな事を決めることにしている。

31歳は「他人に甘く、自分に甘く」だった。

やりたいことしかやっていない今回のカナダ旅

そんな旅が出来ているのも、たくさんの周りのサポートがあってこそ。

なんとお礼を申し上げればよいか…感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、32歳はどんな年にしようかまだ決まっていない。

今日は頭の片隅でそんな事を考えながら過ごそうと思っていた。



ハイダ・グワイの群島の一つ、グラハム島のスキッドゲートに、

ハイダ族の歴史と文化を伝える目的で2007年にオープンしたミュージアムがある。


東京ドームよりも広い敷地には10の伝統的住居・ロングハウスが建てられ、

それぞれがハイダ・グワイ博物館、ギャラリー、カフェ、ギフトショップとして利用されている。




博物館には、ハイダ族の歴史・文化・工芸など興味深いものばかりが展示されている。

また、ハイダ族アーティストの第一人者、

ビル・リード作のカヌー“ルー・タアス(波を食す者)”も展示している。


修復中のトーテムポールもあった。

伝統的に、トーテムポール彫刻に使われる木は、ベイスギ(レッド・シーダー)に限られている。

ベイスギの材質は柔らかく、工作がしやすい。

また湿気の多い場所においても腐敗しにくい。

彫刻直後には赤っぽい地色を見せるが、

短期間のうちに灰色になり、それが一般的なトーテムポールの色となる。

そして、アラートベイで見たクワキウトル族のトーテムポールとは色の使い方が異なる。

ハイダ族は黒・赤・青(緑)の三色のみを使っている。


こちらは実際にミュージアムに建てられたトーテムポール。

特徴的なのはトーテムポールの一番上に置かれる事の多い長い帽子を被ったウオッチマンと呼ばれる存在。

7000年以上も前からこの地に住み、独特の文化を育みながら自然とともに生活してきたハイダ族。

ヒトが自然を管理するのではなく、見守るという姿勢が彼らの根底にある。


次はスピリットレイクまでのトレイルを歩くことにした。

入口には大きなトーテムポールが待ち構えている。

およそ2時間~3時間、中級レベルのトレイルで、勾配もきつくはなかった。


 


小雨が降っていたこの日、

ハイダの植物たちは葉や実に水滴をつけ、生き生きとしていた。

サローと呼ばれるべリ―は私たちの絶好のおやつに。

歩きながら摘まみ、歩きながら摘まみを繰り返し、気付いたら指先は黒く染まっていた。



そして、目的地のスピリットレイクに到着。



ハイダ・グワイには各国から観光客が訪れるが、日本人の割合は意外に多いように思えた。

実際、日本人にバンクーバー島の北では一度も会うことがなかったのに、

ハイダ・グワイの街中では会うことがあった。


仲良くなった高齢の農家さんと

なぜハイダには日本人が多く来るのかという話になった。

私は星野さんの本がきっかけになって来るからだと思っていた。

実際にハイダを知る1つのきっかけになっていることは事実だと思う。


でも、そのおばあちゃんは、

昔ハイダと日本は繋がっていたから、ハイダに呼ばれているんだと話してくれた。


所説あるが、ハイダ族はモンゴロイド系の民族で、

昔、北米大陸と陸続きであったユーラシア大陸から移動してきたという説がある。

また、ハイダ族の長はアイヌ民族が海を漂流し、この地に流れ着いた可能性が高いと自ら話している。

勝手な解釈だが、

私も星野さんもハイダ族も、日本と地続きだったこの地に呼ばれたのかもしれないと思った。


このスピリットレイクを見て、

なにかパワーを感じたり、違う世界に迷い込んだという感覚はなかった。

むしろ、どこか懐かしく、ぼーっとしていたい気分にさせてくれた。


復路は往路と違うルートを通ることにした。

お世話になっているホストの情報だと、このルートは最近出来たばかり。

とても迷いやすいから、道に迷ったら引き返しなさいと言われていた。

実際、このルートの入口の看板を見つけたまでは良いものの、

で、ルートはどれですか?と最初からなっていた。

この看板の左側に、私には到底ルートとは呼べない踏み分け道が続いていた。


時には、倒木がルートに。

時には、藪をかきわけて進んでいく。


これルートなのかなという不安は常にあったものの、引き返すことはせず。

無事に帰ってくることが出来ました。

圧倒される苔と葉からなる緑色と、土と樹々の幹から見える茶色

この2色しかないルートは、私の冒険心をあおり、わくわくさせてくれました。


ミュージアム前の海岸でのんびりしていた際、

石ころを眺めていて今年の抱負を決めました。


山から削ぎ落とされたゴツゴツした石ころは、

川に流され、波に打ち付けられ、海岸に到着した時は丸く。

ただ、よく見てみると丸くなった石ころも1個ずつ形は違うし、色も異なる。

32歳は自分・個性を大事にしながら丸くなりたいなと思いました。

今年の抱負は『丸くなる』です。



あとがき

最近思うようになったのですが、
ダメなところを削って丸くするのではなく、
ダメなところを経験・知識で補って一回り大きな丸みを持てたらいいなと思っています。
そんな丸さを求めながらの32歳の年にしたいです。
カナダ旅もいよいよ終盤を迎えました。
私にとって実りある旅だったと最後まで思えるよう、行動していきたいです。
ブログを書いていて思いました、
ハイダ・グワイの1か月はかなり濃厚だったと感じています。
(2017.2.8)


すだっち

参加ユーザー